瞳の向こうに見えるもの

 過日、出張した際に通学時間帯の路線バスに乗る機会があった。車内には化粧顔の超ミニ制服の女子高生やロンゲ茶髪の男子中学生、そして遠距離通学の小学生もいたが、その誰もが「ちっとも楽しくなんかないよ」とでも言いたげな無表情で不機嫌な顔をしていた。だがこれは、おそらくどこにもあるような今の日本のありふれた光景に違いない。
 そんな子どもたちを横目に見ながら、わたしは先日読んだばかりの「函館 町並み今・昔」(木下順一文・北海道新聞社刊)のことを思い出していた。昭和三十年代を中心とする函館の街のたたずまいを写した写真や当時のことに触れた文章が満載されたその本は、一時わたしを少年時代にタイムスリップさせてくれた。そこには当時の西部地区の活気ある様子や戦争をくぐり抜け、戦後を生きる人たちの逞しくもひたむきな姿が写し出されていた。そして、そんな大人たちの側には、無邪気に遊んでいる子どもたちの姿も写っている。港祭りの花電車、南部坂の竹すべり大会、旧桟橋での魚釣り、電気店のテレビの前の人だかり。そんな写真から、今にも子どもたちの笑い声や歓声が聞こえてくるような気がした。写真に写っている子どもたちの身なりは一様に貧弱だが、子どもたちの瞳はみな輝いている。きっと、その瞳の向こうに明るい未来が見えていたのだ。
 バスに揺られながらわたしは、目の前に立っている子どもたちとあの写真に写っている子どもたちとを無意識のうちに比較していた。キラキラと瞳が輝き、天真爛漫な笑顔を見せていた子どもたちは、いったいどこへ消えてしまったのだろう。
 確かに一般的に言われるように「戦後が終わった」とされた昭和三十年代後半頃からわたしたちの生活は変化してきた。東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、世界への仲間入りを果たした日本は、その後一気に高度経済成長の道をひた走ってゆく。少しずつだがみな豊かになってきていた。隣近所が助け合いながら生きてゆくという時代から、それぞれが自分の幸せや豊かさを追求してゆく時代に入っていこうとしていた。相互扶助の時代から競争の時代に変わろうとしていた。どこの家庭にもテレビが入り、子どもたちの足は近所の路地や空き地から遠のき、やがてその路地も空き地もビルに変わり、街は大きく変わっていった。
 物質的に豊かになってゆくことは決して悪いことではない。あの写真に写っているわたしたちの親の世代は、戦後の貧困から脱却するために必死になって働き続けてきた。現在のこの国の豊かさは、その人たちの努力によってもたらされたことも確かだ。だが、子どもたちは時代を映す鏡であり、子どもたちの表情はその時代の有り様を表すものだとすれば、今の子どもたちの瞳の向こうに、果たして未来は見えているのだろうか。 もしかするとわたしたちは、まだ戦後と言われていたあの頃に、何か途方もなく大きな忘れ物をしてきたのかもしれない。



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