カレーライス

 テレビから懐かしい歌が流れてきた。遠藤賢司が歌う「カレーライス」。東京から離れることになった最後の年、ラジオで初めてこの歌を聞いた。
「君も猫も僕も、みんな好きだね カレーライスが(略)うーん、 とってもいい匂いだな。僕は寝 転んでテレビを見てるよ。そし たら誰かが、ぱっとお腹を切っ ちゃったって。ふーん、痛いだ ろうにね」
 カレーライスを作っているという日常の光景が三島由紀夫の割腹自殺という非日常的世界につながってゆくその歌詞と、それを淡々と語るように歌う遠藤の姿が強く印象に残った。それは、世の中全体が次第に欝屈しながら内向化しつつあった七十年代初頭のことだ。
 東京での学生時代、いつも学生食堂のカレーライスで空腹を満たしていた。薄っぺらいポリ容器の皿に盛られたカレーライスが学食で一番安かったからだ。食事をするとか味わうとかいうのではなく、ただただ胃の中に流し込み、満腹にするという目的のためだけにカレーを食べていた。
 大学がロックアウトになった夏、行く場所も無く、同郷の友人の兄のアパートに転がり込んだ。ちょうどアポロ十一号が月面着陸に成功し、人類が初めて月に立った頃だ。陽がずっと高くなった頃にようやく起きだし、それから朝昼兼用の食事を取るという「毎日が日曜日」のような怠惰な生活を送っていた。その頃は「さばの缶詰」の生活よりはいくらか食のレベルは上がっていて、何かといえばよくカレーを作っては食べた。カレールーと安い豚肉を買い求め、ご飯だけはたくさん炊いてカレーを作った。暑い日差しが容赦なく室内に入り込み、風も通らない六畳一間のその部屋は三十度以上の暑さにもなっていた。そんな温室のような部屋の中で、わたしたちは汗をかきかき、フーフー言いながらカレーライスを頬張った。そうやってわたしたちは都会の孤独感をまぎらわそうとし、ささやかな連帯を求めようとしていた。
 あれから三十年。今ではカレーライスを作ることなどほとんどなくなった。それでも職場ではけっこうカレーを口にする機会は多い。カレーライスは給食の人気メニューだからだ。だが、このお子さま向きの甘口カレーはわたしには物足りなく苦手だ。給食という性格上それは仕方がないことだが、それでもやっぱり刺激もポリシーも感じられないカレーはカレーではないと思ってしまう。だが、それはカレーに対するわたしの特別な思い入れにすぎない。
 遠藤賢司のぶっきらぼうな歌い方はちっとも変わっていなかった。だが、あの六畳のアパートで一緒にカレーを食べた同郷の友人の兄は、間もなく三十代の若さで病死し、函館に戻らず東京で就職してがんばっていた友人からは、今年年賀状が来なかった。
 変わったのは遠藤賢司でもカレーライスでもなく、わたしたちのほうだったのかもしれない。

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