二〇〇一年宇宙の旅
二本足で歩き始めた猿人が、手に持っていた動物の骨を漆黒の空に向け、ポーンと放り投げた。宙に投げられたその骨は、一瞬のうちに宇宙船に変わった。
スタンリー・キューブリックの「二〇〇一年宇宙の旅」を観たのは東京の国立駅前の映画館だった。それは一九七〇年代初頭のみぞれ模様の寒い冬の日だった。観客のほとんどいない館内は底冷えがし、わたしたち三人はしっかりとコートを着込んだまま映画を観ていた。
だが、その時感じていた寒さは、あながち館内の温度のせいだけではなかった。結局何事も起こらなかった「七〇年安保」が終わったその年、わたしたちの心の中もまた、鬱屈した寒々としたものだったからだ。
映画館を出た後、わたしたちは不満げな表情をしたまま、道路の湿った雪に時々足を取られながら黙って歩き続けた。映画の中で流れていた「美しき青きドナウ」の流麗なメロディがずっと耳に残っていたが、映画の内容についてはほとんど理解できなかった。やがてひとりが「二〇〇一年かぁ・・・」と呟いた。「二一世紀だぞ。信じられるか?」もうひとりが言った。道端に落ちていた小枝をわたしは拾い上げ、どんよりとした冬空に思い切り放り投げた。空中に舞い上がった小枝は、力無くすぐに地上に落ちた。それを見てわたしたちは、顔を見合わせながら笑い転げた。
あれから幾時代が過ぎ、ジョージ・オーウェルの近未来小説「一九八四年」もすでに過去のものとなった。オーウェルが警告した社会主義的超管理社会は、一九九一年、社会主義体制そのものの崩壊により終焉を告げた。だが、確かに社会主義的全体主義については一応の終止符が打たれたものの、超管理型社会そのものは、彼の予測を越え、より高度な形で進行してゆこうとしている。
三〇年前、わたしたちにとって「一九八四年」も「二〇〇一年」もはるか遠い、ずっと未来のことだった。その頃のわたしたちは、自分自身もいつか中年や老人になるということなど想像すら出来なかった。高度経済成長はずっと続くものだと思っていたし、世の中というものは永遠に進歩し続けてゆくものだと信じて疑わなかった。
そしてあの時、遠い夢でしかなかった二〇〇一年がこうして実際に訪れ、わたしたちもすっかりおじさんになってしまった。三〇年前のあの時、鉛色の空に向けて放り投げた小枝に、わたしたちはいったい何を託そうとしていたのだろうか。
立待岬エッセイ集に戻る