佐藤泰志作品一覧及び関連書誌
<佐藤泰志作品一覧>
1,小説
「退学処分」(函館西高文芸部誌『氷木』24号 昭和41年12月20日発行)
「青春の記憶」(昭和41年発表 北海道編集センター刊『風に』に所収1974年発行 )
第4 回有島青少年文芸賞優秀賞受賞
「市街戦の中のジャズメン」(未発表 昭和42年))
第5 回 有島青少年文芸賞優秀賞受賞
尚この作品は、その後加筆修正の上「市街戦のジャズメン」と改題し、
『北方文芸』(第1 巻3 号 昭和43年3 月発行)に所収された。
「贋の父親」(『立待』創刊号 昭和46年7 月発行)
「追悼」(『立待』2 号 昭和46年8 月発行)
「留学生」(『立待』3 号 昭和46年12月発行)
「防空壕にて」(『立待』4 号 昭和47年7 月発行)
「奢りの夏」(『北方文芸』第5 巻10号、昭和47年10月発行)
「孔雀」(『立待』5 号 昭和48年1 月発行)
「兎」(『立待』7 号 昭和48年7 月発行)
「兎」(『北方文芸』第6 巻9 号へ転載、昭和48年9 月発行)
「犬」(『立待』8 号 昭和48年9 月発行)
「遠き避暑地」(『北方文芸』第6 巻12号、昭和48年12月発行)
「少年譜」(『立待』9 号 1974年4 月発行)
「颱風」(未発表 昭和49年 第39回文學界新人賞候補作)
「休暇」(『贋エスキモー』 創刊号 1974 年10月発行)
「朝の微笑」(『北方文芸』第7 巻11号、昭和49年11月発行)
「深い夜から」(『北方文芸』第9 巻8 号、昭和51年8 月発行)
第1 回北方文芸賞佳作
「移動動物園」(『新潮』6 月特大号 1977年6 月発行) 第9回新潮新人賞候補作
「光の樹」(『贋エスキモー』1 号 1978年10月発行 )
「もうひとつの朝」(『北方文芸』第12巻3 号、昭和54年3 月発行)
第16回作家賞受賞
「颱風伝説」(『北方文芸』第12巻6 号、昭和54年6 月発行)
「草の響き」(『文藝』7 月号 昭和54年7 月発行)
「ディトリッヒの夜」(『幽幻』2 号 1979年8 月発行)
「画家ティハニー」(『贋エスキモー』2 号 1979年10月発行)
「もうひとつの朝」(『作家』3 号へ転載 1980年発行)
「七月溺愛」(『北方文芸』第13巻3 号、昭和55年3 月発行)
「撃つ夏」(『北方文芸』第14巻2 号、昭和56年2 月発行)
「きみの鳥はうたえる」(『文藝』9 月号 昭和56年9 月発行) 第86回芥川賞候補作
「空の青み」(『新潮』10月号 1982年10月発行) 第88回芥川賞候補作
「光る道」(『文藝』10月号 1982年10月発行)
「水晶の腕」(『新潮』6 月号 1983年6 月発行) 第89回芥川賞候補作
「鳩」(『現代・性教育研究』昭和58年2 月号)
「黄金の服」(『文學界』9 月号 昭和58年9 月発行) 第90回芥川賞候補作
「防空壕のある庭」(『新潮』3 月号 昭和59年3 月発行)
「オーバー・フェンス」(『文學界』5 月号 昭和60年5 月発行)
第93回芥川賞候補作
「風が洗う」(『文學界』9 月号 昭和60年9月発行)
「美しい夏」(『文藝』6 月号 1984年6 月発行)
「鬼ガ島」(『文藝』3 月号 1985年3 月発行)
「野栗鼠」(『文藝』9 月号 1985年9 月発行)
「そこのみにて光輝く」(『文藝』11月号 1985年11月発行)
「もうひとつの朝」(『文學界』6月号 昭和61年6月発行)
「大きなハードルと小さなハードル」(『文藝』1987年特別号 昭和62年12月発行)
『アンソロジー 文学1998』(日本文芸家協会編に所収 1998年発行)
「海炭市叙景・まだ若い廃墟」(『防虫ダンス』4 号 1988年1 月発行)
「海炭市叙景・青い空の下の海」(『防虫ダンス』4号 1988年1月発行)
「海炭市叙景・冬を裸足で」(『防虫ダンス』5号 1988年5 月発行)
「海炭市叙景」(『昴』1988年11月号、後に『海炭市叙景』第一章1 ・2 ・3 )
「納屋のように広い心」(『文藝』1988年冬季号)
「闇と渇き」(『昴』1989年3 月号、後に『海炭市叙景』第一章4 ・5 ・6 )
「新しき試練」(『昴』1989年5 月号、後に『海炭市叙景』第一章7 ・8 ・9 )
「裸者の夏」(『群像』5 月号 1989年5 月発行)
「春」(『昴』1989年9 月号、後に『海炭市叙景』第二章1 ・2 ・3 )
「夜、鳥たちが啼く」(『文藝』1989年冬季号)
「青い田舎」(『昴』1990年1 月号、後に『海炭市叙景』第二章4 ・5 ・6 )
「楽園」(『昴』1990年4 月号、後に『海炭市叙景』第二章7 ・8 ・9 )
「虹」(『文學界』12月号 平成2 年12月発行)
「星と蜜」(『文藝』特別号 1990年12月発行)
「箱」(『ジライヤ』6 号 1991年3 月発行)
2,評論
「負目あるいは素朴ということ」(『黙示』創刊号 1970年9 月発行) 神西隆四の名で発表
「ハックルベリィ・フィンの末裔」(『黙示』2 号 1970年10月発行)神西隆四の名で発表
「革命への接近とその背離」(『黙示』2 号 1970年10月発行)神西隆四の名で発表
「幻視の少女・昌子論」(『黙示』3 号 1970年11月発行) 神西隆四の名で発表
「『日本春歌考』論」(『黙示』5 号 1971年4 月発行)
「敵がまだ立っていられる間は」(『黙示』6 号 1971年6 月発行)
3,詩
「子供の会話」(旭中学校読書クラブ『読書の窓』1965年3月15日発行)
「消防自動車」 同
「にわとり」 同
「いかうり」 同
「猫背」 同
「さまようぼく」 同
「青春の記憶」(『函館西高新聞』62号 昭和41年10月31日発行)
「掴めない花」(函館西高文芸部誌『氷木』昭和41年12月20日発行)
「詩〃オレ〃だけの詩」(函館西高3年8組文集『火の鳥』第2号 昭和42年11月27日発行)
「バッファロー」(函館西高文芸部誌『ひぎ』25号 昭和43年2 月発行)
「重い、重い、重い」 同
「機関銃を」 同
「ニューレフト」(『函館西高新聞』67号 昭和43年3月11日発行)
「突然に」(函館西高生徒会誌『西高』9 号 昭和43年3 月発行)
「鳥」(『黙示』創刊号 1970年7 月発行)神西隆四の名で発表。
「カール・マルクス」(『黙示』創刊号 1970年9 月発行)神西隆四の名で発表
「フィグネルの窓」(『黙示』創刊号 1970年9 月発行)神西隆四の名で発表
「NONSENSE宣言」(『黙示』2 号 1970年10月発行)無記名で発表
「永久革命」(『黙示』2 号 1970年10月発行)神西隆四の名で発表
「M・G・ファイブ」(『黙示』2 号 1970年10月発行)神西隆四の名で発表
「走光」(『黙示』5 号 1971年4 月発行)
「そこのみにて光輝く」(『オーバー・フェンス』9 号 1985年11月発行)
☆「贋の季節」(『贋エスキモー』1 号 1978年10月発行)
☆「十月の夢」 同
☆「ブラキストンの冬」 同
☆「死児と眼」 同
※「贋の季節」「十月の夢」「ブラキストンの冬」「死児と眼」の4 編を小詩集・
「愛あらば一枚の皮膚」として『贋エスキモー』1 号に発表。
☆「僕は書きはじめるのだ」(『オーバー・フェンス』7 号 1984年9 月発行)
☆「画家ティハニー」) 同
☆「僕が行こうと思っていた村には」 同
☆「誰が悲しいだなんていった」 同
☆「僕の渡る多くの河」 同
※「僕は書きはじめるのだ」「画家ティハニー」「僕が行こうと思っていた村には」
「誰が悲しいだなんていった」「僕の渡る多くの河」を全体の題として『オーバー・フェンス』7 号に発表。
4,散文
「希望」(旭中学校2 年2 組文集『足跡』)
「愛の表現について」(高校2年生頃 月日不明)
「詩に関する覚書」(『黙示』創刊号 1970年9 月発行)神西隆四の名で発表
「街に関する一考察」(『黙示』3 号 1970年11月発行)神西隆四の名で発表
「多摩川、失われた水を求めて」(『東京人』平成2 年7 月号)
5,随筆
「先輩から」(旭中学校生徒会『あさひ』1966年3月発行)
「ある瞬間」(函館西高文芸部誌『氷木』昭和41年12月20日発行)
「八百五十キログラムの詩集」(『オーバーフェンス』6 号 昭和59年3 月)
「私信」(『贋エスキモー』2 号 1979年10月発行)
「似而同窓会雑誌」(『黙示』5 号 1971年4 月発行)
「函館の朝市」(『北海道・旅のメモ』4 月号 昭和57年朝日新聞社北海道支社刊)
「夢みる力」(『北海道新聞』1984年2 月22日)
「書斎」(『北海道新聞』1985年7 月30日)
「十年目の故郷」(『北海道新聞』 昭和62年1 月20日)
「『北方文芸』と私」(『北海道新聞』1987年4 月25日)
「青函連絡船のこと」(『中國新聞』昭和63年3 月10日)
『熊本日日新聞』等にも同文掲載
「もうひとつの屋上」(『昴』昭和63年10月号)
「浦河の映画館」(『北海道新聞』1989年6 月2 日)
「背中ばかりなのです」(『新刊ニュース』11月号 1989年11月発行)
「武蔵野雑感」(『北海道新聞』平成2 年1 月23日)
「アメリカの叫び」(映画パンフ『ブルックリン最終出口』平成2 年3 月発行)
「川の力・多摩川の河口はなぜドブになったか」(『毎日新聞』平成2 年5 月29日)
「卒業式の思い出」(國學院大学広報誌『滴』8 号 平成2 年10月号)
「アメリカン」(『週刊アルバイトニュース』連載
随筆「迷いは禁物」昭和59年5 月23日)
「野菜に淫す」( 同 昭和59年5 月30日)
「ダービー馬よいずこへ」( 同 昭和59年6 月4 日)
「美少年対策」( 同 昭和59年6 月11日)
「映画中毒」( 同 昭和59年6 月18日)
「猿並み」( 同 昭和59年6 月25日)
「どっちの少年」( 同 昭和59年7 月2 日)
「タイプライター」( 同 昭和59年7 月9 日)
「ヤケ漫画」( 同 昭和59年7 月16日)
「大いなる夢」( 同 昭和59年7 月23日)
「飛ぶなミオサンスカイ」( 同 昭和59年7 月30日)
「待ちあわせ」( 同 昭和59年8 月6 日)
「机上航海」( 同 昭和59年8 月13日)
「女優」( 同 昭和59年8 月20日)
「モンブラン物語」( 同 昭和59年8 月27日)
「愚者のロンジン」( 同 昭和59年9 月3 日)
「余計なお世話」( 同 昭和59年9 月10日)
「土曜の夜と日曜の朝」( 同 昭和59年9月22日 )
「ベースボール」( 同 昭和59年9 月29日)
「ワッ」( 同 昭和59年10月6 日)
「アナクロっぽい」( 同 昭和59年10月13日)
「サーカス万才」( 同 昭和59年10月20日)
「逆説睡眠」( 同 昭和59年10月29日)
「ながら族」( 同 昭和59年11月3 日)
「メガネをかけた魚」( 同 昭和59年月日不明)
「清潔恐怖症」( 同 昭和59年月日不明)
「あいだ」( 同 昭和59年月日不明)
「粋な撃退法」( 同 昭和59年月日不明)
「犬、笑うな」( 同 昭和59年月日不明)
「テレビがザーザー」( 同 昭和59年月日不明)
「釘師と書いて何と読む」( 同 昭和59年月日不明)
「電話じゃできない」( 同 昭和59年月日不明)
「二次的神経」( 同 昭和59年月日不明)
「ガラム」( 同 昭和59年月日不明)
「20分間」( 同 昭和59年月日不明)
「美学」( 同 昭和60年5 月8 日)
「本の話」( 同 昭和60年5 月14日)
「転勤族」( 同 昭和60年5 月21日)
「穴でも箱でも」( 同 昭和60年5 月28日)
「思い違いの命賭け」( 同 昭和60年6 月11日)
「ブリキのバイオリン」( 同 昭和60年6 月18日)
さらに『週刊アルバイトニュース』に
あと16編の随筆発表(昭和60年7月まで)
6,その他
放送時評 テレビ時評連載(1988年4 月〜1989年3 月)
レポート 『パンセについて』(國學院大學 哲学演習レポート 昭和48年)
卒業論文「神なきあとの人間の問題ーツァアトラストラ研究」
(國學院大学 昭和49年3 月)
読書感想文
「ぼっちゃん」(旭中学校2 年2 組文集『足跡』)
「黄金のパラオ」(旭中学校『若葦』 1964年2月発行)
「『赤蛙』を読んで」(旭中学校読書クラブ『読書の窓』1965年3月15日発行)
第10回北海道青少年読書感想文コンクール優良賞
「『世界国旗図鑑』を見て」 同
「『次郎物語』を読んで」 同
コラム (『黙示』2 号 1970年10月発行)無題無記名で発表
インタビュー記事
「今週のキーマン&クーマン、『そこのみにて光輝く』佐藤泰志」
(『KEY MAN』平成元年6 月発行)
「新人作家33人の現在」(『文學界』平成2 年5 月号発行)
「好き嫌いは自分自身への真剣なこだわり」 (『しんぴょう』平成元年発行)
童話「チェホフの夏」(『贋エスキモー』3 号 昭和56年8 月発行)
書評「夏むき」(『文學界』9 月号 昭和60年9 月発行)
編集後記
(『黙示』2 号 1970年10月発行)神西隆四の名で発表
(『黙示』3 号 1970年10月発行)神西隆四の名で発表
(『黙示』4 号 1971年2 月発行)神西隆四の名で発表
(『黙示』5 号 1971年4 月発行)
(『黙示』6 号 1971年6 月発行)
(『立待』創刊号 昭和46年7 月発行)
(『立待』2 号 昭和46年8 月発行)
(『立待』3 号 昭和46年12月発行)
(『立待』5 号 昭和48年1 月発行)
(『立待』8 号 昭和48年9 月発行)
(『贋エスキモー』1 号 1978年10月発行)
(『贋エスキモー』2 号 1979年10月発行)
呼び掛け文 「青春を考える会『青い実の会』について」(昭和42年発行、月日不明)
雑記 「長谷川級落書帳」(昭和42年度 函館西高2 年2 組学級ノート)
「遠足雑記」「青春とは何だ」などの他に、無題文記が多く書かれている
7,著書
『きみの鳥はうたえる』(1982年3月 河出書房新社)
『文藝』1981年9 月に初出の表題作に、「草の響き」(『文藝』1979年7 月)を加え発刊
『そこのみにて光輝く』(1989年3月 河出書房新社)
『文藝』1986年11月号に初出の表題作に、新たに「滴る陽のしずくにも」を第二部として書き下ろし出版。
第二回三島由起夫賞候補作。
『黄金の服』(1989年9月 河出書房新社)
『文學界』昭和58年9月号に初出の表題作に、「撃つ夏」(『北方文芸』1981年 2月号) や「オーバー・フェンス」(『文學界』昭和60年5 月号)を加え発刊
『移動動物園』(1991年2月 新潮社)
『新潮』1977年6 月特大号に初出の表題作に、「空の青み」(『新潮』1982年10月号)と「水晶の腕」(『新潮』1983年6 月)を加え発刊
『大きなハードルと小さなハードル』(1991年3月 河出書房新社)
『文藝』1987年特別号に初出の表題作に、「美しい夏」(『文藝』1987年6月号)や「野栗鼠」(『文藝』1985年9 月号)、「納屋のように広い心」(『文藝』1988年冬季号)、「鬼ガ島」(『文藝』1985年3 月号)、「夜、鳥たちが啼く」、(『文藝』1989年冬季号)、「裸者の夏」(『群像』1989年5月号) を加え発刊
『海炭市叙景』(1991年12月 集英社)
『昴』に断続的に連載した六編の作品を、各作品の章ごとに十八の物語で構成。予定では三十六の物語で一つのオムニバス作品にする構想であったが、その途上、自裁により中断となる。福間健二が解説を書いている
<佐藤泰志関連書誌>
『文藝春秋』(昭和57年3 月号 文藝春秋社)
第86回(昭和56年下半期)芥川賞に「きみの鳥はうたえる」ノミネート
瀧井孝作、丸谷才一、井上靖、中村光夫が選評で触れる
『文藝春秋』(昭和60年9 月号 文藝春秋社)
第93回(昭和60年上半期)芥川賞に「オーバー・フェンス」ノミネート
三浦哲郎が選評で触れる
『文藝春秋』(昭和58年3 月号 文藝春秋社)
第88回(昭和57年下半期)芥川賞に「空の青み」ノミネート
『文藝春秋』(昭和58年9 月号 文藝春秋社)
第89回(昭和58年上半期)芥川賞に「水晶の腕」ノミネート
丸谷才一が選評で触れる
『文藝春秋』(昭和59年3 月号 文藝春秋社)
第90回(昭和58年下半期)芥川賞に「黄金の服」ノミネート
『新潮』(平成元年7 月号 新潮社)
第2 回三島由起夫賞候補に『そこのみにて光輝く』ノミネート
江藤淳、中上健次、宮本輝が選評で触れる
『北方文芸』100 号記念(第9 巻5 号 昭和51年5 月発行)
『北方文芸』100 号記念「北方文芸賞」で小説「深い夜から」佳作入選発表
『北方文芸』275 号(第23巻12号 平成2年12月発行)
「佐藤泰志を悼む」を編む。坂本幸四郎「作家・佐藤泰志さんを悼む」、
小笠原克「若い《戦友》を送るー佐藤泰志にー」の追悼文所収
『北方文芸』283号(第24巻8号 平成3年8月発行)
随筆「二人の死者」北村巌で佐藤泰志について触れる
『野鶲』創刊号(平成4 年8 月発行)
余市町で創刊された同人誌。その創刊号で佐藤泰志特集を組む。「佐藤泰志の世界」と題し松井正光、盛昭史、竹内由美子と澤辺成徳の司会による座談会が行われ、掲載される。
『啖』4号 (1995年3 月 啖の会発行)評論「佐藤泰志をどう読むか」北村巌
『ジライヤ』6号(1991年3 月 雀社)
佐藤泰志追悼特集を組む。福間健二が追悼詩「国分寺」。追悼文として、世良利和「渇望する夏」、加藤健次「佐藤泰志の余白へ」、福間健二「そこに彼はいた」 木村和史「佐藤泰志のこと」、藤川巌「泰志へ」、酒井俊郎「佐藤泰志のこと」、高専寺赫「ありがとう」、工藤公一「遅れて来た男」、福間恵子「佐藤泰志と競馬とわたし」を所収。その他、佐藤泰志の随筆六編、小説七作品、詩十編を収録(小説七編のうち「箱」は未発表作品で、あと六編と随筆、詩はいずれも再録)。
福間健二が作品解説と同氏作成の「佐藤泰志年譜」も所収
『ジライヤ』7号(1991年6 月 雀社)
書評『移動動物園』「主人公の場所」世良利和、諸費用『大きなハードルと小さなハードル』、「生命の感応」木村和史を所収
『ガギュー』創刊号(1992年7月発行 臥牛舎)
佐藤泰志特集を組む。評論「『そこのみにて光輝く』論」北村巌、随筆「短い夏を生きた作家」辻仁成、評論「『佐藤泰志論』もどき」荒木元、福間健二と辻仁成、久間十義と辻仁成の佐藤泰志をめぐる二つの対談を所収
『ガギュー』2号(1993年6月発行 ガギュー舎)
佐藤泰志特集<第二弾>を組む。インタビュー「中学校時代の佐藤泰志」押沢正治氏(に聞く)、随筆「佐藤泰志と中・高時代、一・二の思い出」浅野元広、随筆「1968年夏の泰志君」四宮良子、随筆「佐藤泰志と『黙示』の時代」西堀滋樹、他に北館夫のコラージュを所収
『文学1988』(日本文芸家協会編 昭和63年4 月発行 講談社)
「大きなハードル・小さなハードル」を所収
隔月刊『HAKODADI(はこだでぃ)』44号(平成10年3月10日発行)
特集 函館市文学館案内を組む
『函館西高新聞』65号(昭和42年12月12日発行)
第5回有島青少年文芸賞に佐藤泰志「市街戦の中のジャズメン」優秀賞受賞の記事
『北海道新聞』昭和42年11月25日 佐藤泰志「市街戦の中のジャズメン」の有島青少年文芸賞優秀賞受賞を報じる
『北海道新聞』1989年5月1日書評『そこのみにて光輝く』、「人と自然との交響楽」 ゆりはじめ
『北海道新聞』(1990年10月12日)
自殺記事(以下朝日、読売、毎日の三大紙をはじめ多くの新聞が全国版で取り上げる。日付けは各紙によって若干ことなる)
『北海道新聞』1990年11月27日 菅野昭正が「文芸時評(下)」で遺作を追悼の意味を込めて掲載。
『北海道新聞』1991年3 月29日評論「佐藤泰志の死と文学」 福間健二
『北海道新聞』1991年10月4日随筆「骨身削る思いで」 辻仁成
『北海道新聞』1992年1月19日書評『海炭市叙景』 川西政明
『北海道新聞』1992 年6月6 日記事「故佐藤泰志氏夫人からの寄贈で弾み」
『北海道新聞』1992年 7月31日随筆「同人誌創刊」辻仁成
『北海道新聞』1992年月日不明)批評「道内文学(小説・評論)」中澤千磨夫
『北海道新聞』1992年8月8日記事「同期生ら『飾る会』設立」
『北海道新聞』1992年10月9日評論「佐藤泰志文学が問いかけるもの」北村巌
『北海道新聞』1993年2月3日 再読百遍に『海炭市叙景』書評、「生きるせつなさ体現」 狐(中澤千磨夫)署名
『北海道新聞』1993年2 月11日 函館市文学館へ「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会」が絵画『叙景』寄贈の記事
『北海道新聞』1993年4 月4 日「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会」主催、北村巌講演会記事
『北海道新聞』1993年4月12日 函館文学館オープン特集「函館・文学の系譜」で「青春の苦悩を追う」という題で佐藤泰志を取り上げる。
『北海道新聞』1993年4月16日 随筆「泰志と『叙景』」 西堀滋樹
『北海道新聞』1997年2月19日 随筆「『函館文学』の新しい流れ」西堀滋樹
『北海道新聞』1997年11月26日 随筆「函館西高」北村巌
『北海道新聞』1998年6 月24日 随筆「『立待』と『黙示』」西堀滋樹
『北海道新聞』1998年9 月11日 随筆「屋上の青春」西堀滋樹
『北海道新聞』1999年3 月9 日 随筆「ペンネームはいかが」北村巌
『北海道新聞』1999年6 月10日 随筆「さよなら坂本幸四郎さん」北村巌
『北海道新聞』1998年3 月18日 函館市文学館企画展記事
『北海道新聞』1999年6 月16日 「佐藤泰志さん追想集発行へ」記事
『北海道新聞』1999年8月 日 随筆「きみの鳥はうたえる」 西堀滋樹
『北海道新聞』1999年9月 日 随筆 「後悔」北村 巌
『室蘭民報』(1990年11月17日)散文「作家・佐藤泰志の死を悼む」北村巌
『日本経済新聞』(1993年5月22日)函館市文学館開館の特集記事
『日本読書新聞』(1989年月日不明)
書評『そこのみにて光輝く』「海鳴りのような雄大さ」井坂洋子
『毎日新聞』(1989年5月8日)
書評『そこのみにて光輝く』「作者の姿勢に変化」無署名
『週刊読書人』(1882号.1991年5月13日)白川正芳が<文芸同人誌評>で佐藤泰志を取り上げる。
『週刊読書人』(1993年8 月2 日発行)
「文庫をこの本に」で、西堀滋樹が「きみの鳥はうたえる」を取り上げる。
『朝日新聞』(1990年月日不明)
川村二郎「文芸時評」で遺作を追悼の意味を込めて掲載
『朝日新聞』(1992年8 月14日)
「佐藤泰志コーナーに本の表紙原画を飾ろう」記事
『読売新聞』(1997年6 月28日)『海炭市叙景』について特集記事(小林茂記者)
『週刊新潮』(1990年発行月日不明)特集「いま文学賞140・自殺した候補作家佐藤泰志氏の絶望」
『新日本文学』526 号、1992年春号(1992年4月発行)
評論「佐藤泰志論ー虹のかなたに逝きし君へー」北村巌
『函館市民文芸』(1993年11月発行) 評論「望郷と越境ー屋上の青春論」西堀滋樹
『文藝』5 月号(1989年5月発行 河出書房新社)
書評『そこのみにて光輝く』 川村湊
『昴』 月号(1989年発行月不明 集英社)
書評『そこのみにて光輝く』<丘>署名
『昴』12月号(平成2年12月発行 集英社)
追悼文「夢見られた輝きー佐藤泰志の死を悼む」福間健二
『文藝』特別号(1990年12月発行 河出書房新社)
佐藤泰志追悼を特集。追悼文「固い結び目」梅田昌志郎と「佐藤泰志とその文学」千田英世を掲載
『空の色紙』新潮文庫(帚木蓬生著 平成9 年12月発行 新潮社)
帚木蓬生は「あとがき追記」で佐藤泰志について触れる
『HAKODADI』9号(平成4年5月1日発行)
書評『海炭市叙景』桜井健治
『HAKODADI』44号(平成10年3月1日発行)
書評『文学館感傷紀行』(中村稔著)桜井健治
『叙景』(「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会報告集1993年3 月15日発行)「挨拶』陳有崎、「思うこと」佐藤喜美子、「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会の皆様へ」高専寺赫 、「君よ!封印された扉のままで…」北村巌、 「思い出すこと」太田力夫、「夏の同期会への返事」大淵悦子、「俺は血の匂いがするだろ?ポゥリク」田原迫春代、「時代を挑発する文学」成田隆雄、「佐藤五」吉田ミサヲ、「旧第一銀行の思い出」前田和子、「雪のゴールデンバット」上戸久二、「二十二年振りの電話」永田真理子、「二十三年ぶりに」植木景子、「ぼくは作家になるんだ」佐野佳津子、「『老アナキストの回顧展』のこと」野村俊幸などの散文所収。他に鈴木英二郎(お便り)、四宮良子(お便り)、「編集後記」西堀滋樹を所収
「北海道文学館報」41号(1993年8 月5 日発行)
第五回北海道文学集会(1993年5 月29日)での北村巌「佐藤泰志」講演報告
図録『青春と文学』(北海道立文学館 平成9 年9 月27日発行)
絵葉書 函館市文学館開館記念
「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会」1993年4 月1 日発行
『電通報』第1302号(2000年10月30日発行)編集長鈴木茂「広告人語」で佐藤泰志について触れる。
<掲載誌>など不明なもの
『ミッドナイト・プレス』9 号(発行年月日不明)散文「佐藤泰志を思う」福間健二
『国立市公民館図書室』月報5(発行年月日不明)散文「佐藤泰志について」福間健二
『山陽新聞』(号及び発行年月日不明)佐藤泰志の追悼特集を行う
『読売新聞』(号及び発行年月日不明)
批評「生き急いだ作家・佐藤泰志」川村湊
『移動動物園』書評、「青春の確かさを追求」川西政明 (掲載紙不明)
『そこのみにて光輝く』書評「ロマンチックなまなざし」北村太郎(掲載誌不明)
『そこのみにて光輝く』書評「荒れた心がひしめいて」加藤健次(掲載誌不明)
付記
・現在(1999年9月)、私たちが把握している佐藤泰志の作品と関連書誌である。
まだ、不明な部分もあり、今後、追録を含め課題にしたい。
・発行年が和暦・西暦とが混在しているが、作品・書誌などの奥付に従い、そのまま記載したことによる。
・原則として「 」は作品、『 』は雑誌・単行本などの刊行物として示した。
・排列はジャンルごとに月単位で発行順に並べた。
・同作品の場合も、原則掲載した。
・無署名の場合も、確認の取れたものは作成者責任として記載した。
・現段階で掲載を確認しつつも、<掲載誌>が不明なものは最後に列記した。
・副題の表記については省略した。
・補足的事項については、必要に応じて最低限注記した。
・敬称は全て省略した。
(作成 田沢 義公・西堀 滋樹)
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