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自分自身の備忘録として妻の治療暦を記す。
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春 町会の集団検診での血液検査で異常を発見。
市内の大きな病院で診て貰う。CTで卵巣が少し腫れているとの所見。
11月 入院
開腹手術で卵巣ではなく虫垂の破裂発見,除去。
12月 退 院
01月 CT検査
02月 入院
リザーバーの埋め込みと,抗癌剤の直接散布。入院治療。
05月 退 院
01月 入院
抗癌剤治療。
04月 退 院
05月 大学病院の腫瘍内科へ
06月 大学病院へ
07月 フランスの聖地ルルドへ奇跡を求めて出発
08月 フランスより帰宅
09月 手術(リザーバーを抜く)
10月 東京へ
10月 東京より帰宅
11月 (このころより、腹部膨満のため歩行はようやく)
03月 入 院
大網中心に腫瘍除去手術。抗癌剤治療。
04月 退 院
06月 免疫を高める治療(札幌)
06月 全身温熱療法のため東京へ
08月 東京より帰る
08月 玉川温泉へ (3月の手術でお腹は少し軽くなるが、再度の腹部膨満で歩行はようやく)
玉川温泉より帰る
08月 免疫を高める治療(札幌)
08月 入 院
08月 腎漏の手術
09月 手術予定が高熱のため延期
09月 手術予定が緑膿菌感染のため延期
09月 静脈中にフィルターを入れる手術後、腫瘍を取る手術(粘液2lのみ)
11月 退 院
11月 緊 急 入 院(腸閉塞) 薬投与 従姉妹(M)帰天
12月 退 院
12月 鍼灸師に診てもらう(東京) (空港間の移動では全て車椅子使用、都内の移動は全てタクシー)
01月 鍼灸治療を続ける
02月 東京より帰宅
02月 病院で診察
02月 鍼灸治療のため東京へ
03月 東京より帰宅 (通院には、こんな事もあろうかと購入しておいた福祉車両が活躍)
03月 病院で診察 (駐車場から病院内は全て車椅子使用)
03月 病院で診察
03月 病院で診察
03月 病院で診察(消化器科・心臓外科)
03月 病院で診察(泌尿器科)
03月 病院で診察
04月 病院で診察(外科)
04月 入 院
04月 腫瘍除去手術(腫瘍と粘液少し取れた)
04月 退 院
05月 入 院
05月 退 院
08月 入 院(体調悪く予定を早めた)
08月 腹膜も除去する大規模な手術(外部からの医師により)輸血5000cc ICUの部屋で看護受ける
08月 自分の個室に戻る (ジュースは許可される。胃漏をしているので固形物でなければOK)
08月 (一時は食事を摂ってみたが無理と分かり、腸の穴が塞がるのを待つ事に。生命維持は点滴で)
09月 (大変にやつれ、声はかさかさで、話すのもようやくである。胸が締め付けられて苦しいとの事。)
09月 (このころより毎日2度高熱が出る。熱が高いと苦しく、下がると空腹感に責められるとの事。)
(沢山のバッグ類がついたポールを押しながら何とか自力でトイレへ行く)
09月 (キャラメルの許可が出てよろこぶ。苦痛が少ない時は読書に勤しみ毎日文庫本1冊読破、英字新聞も)
10月
(腸の穴以外に腫瘍が腸の他の部分を圧迫している事が分かり、退院は絶望的となる)
12月
(次第に増えてゆく痛みを抑えるためモルヒネの点滴を始める。ほとんど本を読まなくなる)
12月 (看護師詰め所に近い個室に移る)
12月 (自力でトイレに行く事も困難となり尿カテーテルをつける。ベッドから一歩も出られない。モルヒネ増量する)
(うんうん言いながら、半眼に閉じている事が多くなった。大きな声を掛けた時のみ焦点を合わせる)
12月 (輸血をする)
12月 (再度病者の秘蹟を受ける。肉親達へまだ意識がある内にお別れに来るように連絡)
12月31日 (息子の妻、娘の夫が来たのでかなり気張ったようである。居た1時間強の間意識はしっかりしていた。
最後のお別れと自覚
していたのだろう。)
01.04 午後3時04分 妻帰天
01.05 納棺
01.06 教会で告別式
01.07 火葬する
これ以外に3ヶ月以上試した健康食品、治療
キチン・キトサン フコイダン プロポリス 正源 AHCC 丸山ワクチン カバのアナタケ 爪もみ療法
整体 十字式健康法
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