「富める者」からの脱出・・・久生十蘭らとの出会い





「寒さの中に、彼はつぎはぎだらけの薄い小倉の服を着、地下足袋をはいて、ひびだらけの手に電報を持っていた。彼は羨望に堪えぬもののごとく暫く僕を見つめ、実に無邪気に、『君はいいなあ』といった。そして、冷気の中に白い吐息を残しながら去った。・・・(略)・・・少年の僕が、はじめて『富める者』という自覚をもち、且つそれが苦渋であることを知ったのはたしかにこの時である。」
         (『我が精神の遍歴』)


亀井の生家のあった場所


                                                                                                                   生誕の地記念碑
 亀井の父喜一郎は函館貯蓄銀行支配人であった。その父が、近所に住んでいた久生十蘭(本名阿部正夫)のことを次のように言った。
「私が文学を好むようになったとき、私の父は『決しておとなりの正夫ちゃんのような不良になるな』とコンコンと戒めた。学校をサボってベレー帽をかぶり、マンドリンをさげてぶらつくような中学生は、当時十蘭氏ただひとりであったからだ」(「北海道の系譜」)
       標注の文字は武者小路実篤




< 函館での亀井とかかわりある人々>


久生十蘭(劇作家・直木賞)   石川正雄(啄木の娘婿)   高橋掬太郎(作詞家) 
 水谷準(「新青年」編集長)   田中清玄(武装共産党幹部・獄中転向・戦後日本のフィクサー)

元町文学地図
11,亀井勝一郎生誕地跡